Came From Nothing – ゼロから成り上がるラッパーたち

世の中には数々の流行語が存在しています。それはヒップホップシーンも例外ではなく、むしろそこでの流行語が移り変わる速度は一般社会よりも早いのかもしれません。直近では「マジで」や「嘘は言わない」などを意味する 「No Cap」 などといったスラングが広く普及しました。

さて、今回取り上げるのは「I Came From Nothing」という言葉です。意味はそのまま「何も無いところからやってきた(成功した)」となるわけですが、隠語や言葉遊び的要素を持つスラングというよりは、そのままの意味で言葉自体が流行した事例に分類されるでしょう。

Young Thug による影響

「I Came From Nothing」という言葉がこれほどまでにヒップホップシーンに愛されている要因を探る上で、無視できないのは Young Thug の存在です。この言葉がシーンで多用されるようになったのは直近の10年間だと言えますが、Young Thug は10年前である2011年にデビューミックステープ『I Came From Nothing』をリリースしています。彼はその後も同年に『I Came From Nothing 2』を、翌年に『I Came From Nothing 3』をリリースし、シーンに多大なる影響を与えました。

Young Thug による『I Came From Nothing』シリーズ

もちろん「I Came From Nothing」という言葉は、一般的ではない別の意味を有するスラングではないため、それ以前にもリリックなどにおいて使用されている事例は存在します。しかし、ここ数年での使用頻度の顕著な増加や、Young Thug が現行シーンに与えた影響の多大さを考えると、過言ではないと思います。

使用例

「I Came From Nothing」は現在も数々のラッパーたちによって言及され続けており、貧乏だった頃の経験と現在を比較するリリックとともに用いることが鉄板ネタとなっています。このセクションでは、例としてひとつリリックを引用し、ご紹介いたします。

Lil Baby – Intro

I dropped out of school didn’t get no education
学校を退学して教育を受けていないけど

My momma, she happy ’cause I finally made it
俺は成功してママは喜んでる

She living better, her house big as fuck
ママの暮らしは良くなって、彼女に大きな家も買った

Buy her a Bentayga Bentley truck
ベントレー・ベンテイガ (※1)もね

With a AP today, tomorrow switch it up
今日はオーデマ・ピゲ (※2) の時計、明日は違うブランド

Honeycomb diamonds VVS’s cuttin’
蜂の巣みたいな VVSダイアモンド (※3)

Standing on stage, I really came from nothing
ステージに立つ、俺は本当に何もない場所から這い上がった

(※1) ベントレー社による初のSUV。新車価格は2081万円。
(※2) スイス発祥の高級腕時計ブランド
(※3) ダイアモンドのランク。VVS は Flawless についで2番目の純度。

音楽において最高した現在ならではの贅沢な暮らし、高級車、高級腕時計、さらには親孝行に関するフレックスラインを羅列した後に力強くラップされる「I Came From Nothing」という言葉には、その境遇を経験してきた彼でないと表すことのできない風格を感じることができます。

類義語

Came a Long Way

Young Thug がミックステープのタイトルとした「I Came From Nothing」を起点とし、様々な類義語や派生語が誕生してきました。代表的な類義語として「Came a Long Way」(長い道のりをやってきた)が挙げられます。

近年では Rae Sremmurd や Offset などが「Came a Long Way」と名付けた楽曲をリリースしていますし、様々なラッパーたちのリリックにも頻出する言葉となっています。

Rags to Riches

同じようなシチュエーションを表す際によく使用される言葉として「Rags to Riches」も挙げられます。「Rag」はボロ布を表す単語で、いわば貧乏の代名詞とされています。つまり、こちらも「貧乏から金持ちに」を表す言葉というわけです。

しかし、こちらの言葉はヒップホップに由来した言葉という訳にはいかず、かなり前から存在していた慣用句のようなものです。ですが、「I Came From Nothing」と似た意味を持つイディオムとして詩的な使い方がなされる際に登場することも多いです。

派生語

ここまでご紹介したワードをさらに細かくみていくと、数多の派生語が存在していることがわかります。例えば、「Came From」の後に「Nothing」に代わる貧しい時代の思い出をいれるパターンです。本セクションでは、その中でも興味深いものをピックアップしてご紹介します。

Young Thug – Mannequin Challenge (feat. Juice WRLD)

We came from cookin’ noodles on the stove
俺たちはストーブの上でラーメンを作っていた時代から這い上がってきた

Young Thug のソロデビューアルバムに収録された、故 Juice WRLD との楽曲です。アメリカにおいて、インスタントラーメンは比較的安価で満腹感を得られることから、人気を博しています。日本製のインスタントヌードルは高額で販売されていることが多いですが、アジア系のスーパーマーケットでは韓国製のものが安価で販売されています。また、日本の企業が海外向けに生産した商品も多数存在し、そちらは比較的安価な価格設定となっています。

「昼食で200ドル使った」とラップした Gunna が話題となったように、YSL Records やその周辺人物は普段から高級な料理を口にしているようですが、そんな彼らを率いた Young Thug でさえも、安価なラーメンを調理コンロではなくストーブの熱で調理する時代があったようです。

Young Thug は他にも『I came a long way from shopping at clearance sales』(在庫処分セールで買い物をしていた時代から這い上がった) などとラップしており、一捻り加えられたリリックが興味深いです。

Ralo – How Could You

Remember us, we came from riding on that MARTA bus
思い出してみろ、俺たちはマルタバス (※1) に乗っていた時代から成り上がった

We came from watching movie theaters, I’m on that movie screen
シアターで映画をみていた時代から這い上がって、今じゃ俺らは映画の中の存在だ

(※1) アトランタ市交通局が運営する公共交通機関

現在も刑務所に収監されているジョージア州アトランタのラッパー Ralo はこのようにラップしています。成功してからは高級車での移動が中心となっているであろう彼らにとって、バスでの移動は貧しい時代の象徴的な思い出なのでしょう。また、アトランタの地域密着型サービスである固有名詞を含めることで、過去と現在を比較すると同時にフッドをアピールすることにも成功しています。

おわりに

いかがでしたでしょうか。今回は近年のヒップホップシーンで良く耳にする『I Came From Nothing』というワードについて掘り下げて考察してみました。皆さんもお気に入りのラッパーはどのようにラップしているのかを探してみてはいかがでしょうか。

Written by whoiskosuke