米ミネソタ州ミネアポリスで、George Floyd 氏が警察官によって殺害された日から早1か月以上が経過しました。今回の事件、そして後に続く反レイシズムの運動は、主にSNSを通じて史上類を見ないほどの規模で世界に広がり、アフリカ系アメリカ人に対する差別の歴史、現状を多くの人が知ることになりました。世界各国の多くの人たちがアメリカ社会の人種差別の現状をアメリカだけの問題ではなく普遍的な人種差別の問題と受け止め、差別的な制度の変革を今も訴え続けています。
多くのアフリカ系アメリカ人の人たちにとって、音楽は自身が生きている現実を表現するプラットフォームとしての役割を常に果たしてきました。実に、公民権運動以前の時代から、多くのアーティストが音楽を通して人種差別や貧困といったアメリカ社会の不平等について取り上げ、社会、そして個人の意識の改革の必要性を訴えてきました。今回の事件後も、多くのラッパーやR&Bアーティストが反レイシズムの曲をリリースしています。
そこで、今回は人種差別を取り上げている曲を4曲ご紹介させていただきます。全曲最初から最後まで解説したいところですが、今回は重要な部分の解説にとどめておきます。
1. Joey Bada$$ -『Land of the Free』
2016年にリリースされた『ALL-AMERIKKKAN BADA$$』収録の一曲。
3年以上前の作品ですが、アメリカ社会に根付く人種差別の現状をテーマにしたアルバムなので、そこに込められたメッセージは現在の状況と通ずるところがたくさんあります。
The Notorious B.I.G.の名曲『Juicy』と同ネタを使ったトラックに乗せて、この曲はこんな一節で始まります。
Can’t change the world unless we change ourselves
俺たち自身が変わらなければ世界を変えることはできない
Die from the sicknesses if we don’t seek the health
健康を求めなければ病気で死んでしまう
この「病気」は「人種差別やアメリカ社会の腐敗といった問題」、「健康」は「その問題の改善・解決」という様に解釈できるでしょう。
何が問題であるかを考え、その解決を求めるために行動しないと、結局は自分自身もその問題に足を捕らわれ、その犠牲になってしまう。つまり、私たちの目の前にある問題を解決するためには、一人ひとりの自己変革が不可欠であることを訴えています。
歌詞解説サイトの Genius にて、Joey はこの一節をあらゆる人々に向けて書いたものだと語っており、この曲自体は人種差別、アメリカの腐敗がテーマですが、人種差別だけでなく私たちの生きている社会に転がる様々な問題に対して「あなたならどのように向き合い、どのような行動をとるのか?」と問題提起しています。
この曲が収録された『ALL-AMERIKAN BADA$$』は、Joey が400年に至る黒人差別の歴史と向き合い、それに対する解答として出した非常にシリアスな作品ですが、そこに込められたメッセージは力強く、私たち一人ひとりに向けられた普遍的なメッセージなのではないでしょうか。
またアルバムを通して感じられるのは悲観的な雰囲気ではなく、悲劇的な環境の中においても希望を失わずに戦い続けようとする一人の若者の気高い精神です。
このアルバムが今のアメリカを代表する作品であることはまず間違いないでしょう。
2. Lupe Fiasco –『WAV files』
続いては、Kanye West の『Touch the Sky』へのフィーチャリングでも知られるシカゴのリリシスト Lupe Fiasco が2018年にリリースしたアルバム『DROGAS WAVE』に収録されている1曲『WAV files』。
アトランティックレコードを離れた後の彼の作品は、以前ほど爆発的にヒットしているわけではないですが、作品自体のクオリティはむしろ上がっているように思います。
このアルバムは「中間航路(黒人奴隷をアフリカからアメリカ大陸や西インド諸島へと運ぶ大西洋航路のこと)で奴隷船から海に飛び降りた奴隷」をテーマとしたコンセプト・アルバムです。
アメリカの人種差別の歴史について考えるとき、奴隷貿易の歴史は避けて通れません。黒人差別の歴史を木に例えるならば、奴隷貿易は根の部分にあたるといえるでしょう。中間航路や奴隷貿易の悲惨さについては、様々な記録や文献があるので一度調べてみることをおすすめします。
そして、この曲はそのような奴隷の亡霊の視点で書かれており、彼らが実はまだ死んでおらず、他の貿易船を沈めながらアフリカ大陸に帰るべく海中を歩き続けているという、とても斬新で衝撃的な内容が展開されていきます。
My bones is why the beach is white
砂浜が白いのは、そこに俺の骨があるからだ *1
Why the beach is white ’cause they bleached us light
砂浜が白いのは、あいつらが俺たちを明るく染めたからだ *2
So I’m goin’ back home, I took a leap last night
だから俺は帰るべきところへと向かっている。俺は昨夜飛び込んだんだ
So I’m walkin’ on water ’til my feet just like Jesus Christ
この足がイエスキリストみたいになるまで俺は海の上を歩き続ける *3
Wow, walkin’ on water
海の上を
*1・・・海に飛び込み亡くなった奴隷たちの骨が海岸まで流れ着いたことを意味しています。
*2・・・奴隷の所有者たちは奴隷たちからアフリカ独自の宗教や言語などの文化を取り上げ、西洋の文化や価値観を強制しました。
*3・・・イエスキリストは大嵐の中海の上を歩いたとされています。
静かにピアノがループするビートの効果も相まって、本当に海に飛び込んだ奴隷たちが海の底を歩いているイメージが浮かんでくるようです。また、特筆すべきなのは3ヴァース目の構成です。このヴァースで、彼は初めの部分以外ほとんど韻を踏むことなくひたすら実在した奴隷船の名前を挙げていきます。彼ほどのスキルがあれば奴隷貿易について語りながらいくらでもパンチラインを作ることができたはずですが、あえて韻を踏まず、名詞だけを並べていくという手法を彼は意図的に選択しました。
これは、おそらく他のどのラッパーもやっているようでやっていない画期的なアプローチでしょう。そんなアプローチが功を奏して、どれだけ多くの船が奴隷を連れて大西洋を航行していたのかが明確に分かる上に、語り手である奴隷たちの亡霊が奴隷船を沈めながら海中を往来しているイメージが浮かび上がってきます。
この曲の内容はフィクションですが、歴史の中で忘れられた存在である、奴隷船から飛び込み海の藻屑と化した何十人・何百人の名もなき奴隷たちに光を当て、「彼らはただ無残に死んだのではなく、今も故郷に向かって歩いているのだ」と語ることで、全く新しい視点を投げかけるものとなっています。
また、擬人法や比喩など、様々なイメージを想起させる効果がたくさん使われており、聞けば聞くほど深みを感じる非常に文学的な作品でもあります。是非1度リリックを追いながら、その魅力とメッセージに触れてみてはいかがでしょうか。
3. Kenneth Whalum –『Might Not Be OK (feat. Big K.R.I.T.)』
次は、Jay-Z の『4:44』にも参加したテネシー州メンフィスのサックス奏者である Kenneth Whalum が、2016年に Big K.R.I.T. を客演に迎えリリースした1曲『Might Not Be OK』です。
この曲は、同年7月にルイジアナ州バトン・ルージュにてアルトン・スターリンというアフリカ系アメリカ人の男性が警官によって射殺された事件を受けてリリースされ、警察によるアフリカ系アメリカ人への暴行を取り上げています。
リリースに至った経緯は Big K.R.I.T. 本人が Genius のインタビューにて詳しく説明しているので是非見てみてください。
この曲は Big K.R.I.T. の淡々とした語り出しからヴァースが始まります。
Mommas been cryin’ and they gon’ keep cryin’
ママたちはずっと泣き続けてる、これからも泣き続けるだろう
Black folk been dyin’ and they gon’ keep dyin’
黒人たちは死に続けてる、これからも死に続けるだろう
Police been firin’ and they gon’ keep firin’
警察は銃をぶっぱなし続けてる、これからもそれを続けるだろう
The government been lyin’ and they gon’ keep lyin’
政府は嘘をつき続けている、これからも嘘をつき続けるだろう
Kenneth Whalum –『Might Not Be OK (feat. Big K.R.I.T.)』
ここで、彼は黒人が実際に今どのような状況に生きているのかを端的に表現しています。
黒人たちが警官の手によって命を失うたび、母親は自分の子どもの死を嘆き悲しむが、司法は事件の事実に直面せず、殺した警官は正しく裁かれることはない。これに対して抗議の声を上げ、正義を訴えても、また同じように黒人が警官の手によって殺され、不起訴処分で終わる、という繰り返し。
今日に至るまでたくさんの人が、幾度となく黒人に対する不当な逮捕や暴行に反対し、殺人に関わった警官を裁くよう訴えてきましたが、警官による黒人への暴行が後を絶つことはなく、そのような警官の処遇は起訴どころか無罪放免で済まされてきました。
そのような変わらない差別の現状に対して、ようやく当事者の黒人たちだけでなく、他の人たちも共に声を上げよう、社会全体としてこの問題と向き合おうという動きが高まり、今回のような国際的な抗議活動が行われる結果になりましたが、「黒人への差別をやめろ」というメッセージは、大昔から訴えられてきました。
何年、何十年、何百年と続く差別の中で、状況を変えたくてもなかなか変わらない、そんなどうしようもない現実に対する怒りや悔しさといった悲痛な感情が、曲が進むにつれて感情的になっていく彼のラップから、ひしひしと伝わってきます。
4. J. Cole –『Be Free』
2014年、ミズーリ州セントルイス群ファーガソンにて Michael Brown という18歳の黒人の青年が警官によって殺された事件に対するアンサーソングとしてリリースされた1曲。
この事件でも彼の殺害に関わった警官は不起訴処分とされ、不当な措置であるとして大規模な抗議運動が行われました。この事件からもうすぐ6年が経ちますが、未だ解決したとは言えません。
J. Cole は今世代最高のラッパーの名声を勝ち取っており、成功者であることは疑いようがないですが、この曲ではそのようなブランドは一切関係なく、アメリカという地に生きる一人の黒人男性としてこの事件に対する自身の心情をさらけ出しています。
All we wanna do is take the chains off
俺たちはただこの鎖を外したいだけなんだ *1
All we wanna do is break the chains off
俺たちはこの鎖を断ち切りたいだけなんだ
All we wanna do is be free
俺たちはただ自由になりたいだけなんだ
All we wanna do is be free
俺たちはただ解放されたいだけなんだ
*1・・・鎖は奴隷の動きを制限するために使われていました。
非常にシンプルでありながら力強さを感じるフックには、奴隷制時代から現代にいたるまで一貫して訴えられてきた黒人たちのメッセージの本質が凝縮されています。
「自由に生きたい、俺たちが願っているのはただそれだけなんだ」という言葉は、どれだけ長い間、アメリカ社会が彼らの声を理解せず、無視し続けてきたかということを示しています。
Can you tell me why
なあ教えてくれ、何でなんだ
Every time I step outside I see my niggas die
俺が外に出るたびに誰かが死ぬのを見なきゃいけないのは何でなんだ
I’m lettin’ you know
お前に言っておく
That there ain’t no gun they make that can kill my soul
どんな銃も俺の魂を殺すことはできない
Oh no
何てことだ
『Middle Child』などの曲での自信に満ちた堂々とした姿とは違い、歌いながらラップする彼の姿は悲しみや悔しさに打ちひしがれていて、いまにも崩れ落ちそうです。
そのような状況でもなお、彼は「銃では俺の魂は殺せない」と叫びます。どれだけ警察が、そして社会が黒人の命を奪おうとしても、その精神や存在まで否定することは不可能なのだということを宣言するこの言葉は、彼の悲痛な叫びの中でもひときわ鋭く響いてきます。この曲は彼の最高傑作の1つであり、アメリカに生きる黒人の痛みや悲しみをこれ以上ないほど鮮明に描写した作品です。
おわりに
今回は黒人差別をテーマとしたものの中でも特にストレートに響く楽曲をご紹介させていただきました。ヒットチャートに載ることは少なくとも、黒人差別や社会の腐敗をテーマとしたラップ・ソングは他にもたくさんあります。今回ご紹介できなかった楽曲はプレイリストにまとめておりますので、この機会に是非聴いてみてはいかがでしょうか。
Hip Hop の歴史は、黒人たちが生きてきた歴史ととても深い関係にあります。昨今、George Floyd 氏の殺害事件をきっかけに史上最大規模の反人種差別の動きが世界へと広がっており、Black Lives Matter の運動、そして人種差別についての意識啓発の動きが高まっている中、彼らの音楽から学ばされること、感化されることは沢山あるのではないでしょうか。
https://music.apple.com/jp/playlist/protest-songs/pl.u-kv9lq7js7VY5Ga1?l=en
Nozomu Yoshida