But there’s no erasing
意味のないことなんてないんだよ
Frank Ocean – Dust
Frank Ocean に影響を与えたのは Prince や Kanye West であるという話はをよく耳にします。しかし、Ocean に影響を与えたのは R&B や Hip-Hop だけではありません。Ocean は「現代音楽」にもかなり影響を受けているのです。
現代音楽とは、20世紀中盤以降から使われるようになった言葉で、クラシックのジャンルのことを指しています。その音楽性に絶対的な共通性はないものの、無音への傾倒や、不協和音の多用などが傾向として挙げられます。
そして、影響を受けたというその根拠は Ocean の指揮する無料配布マガジン『Boys Don’t Cry』に掲載されている「Frank Ocean の好きな曲50選」の中にあります。この中には、たった一曲だけ日本人の名前が記されているのです。それは、日本が誇る作曲家 / シンセサイザー奏者でもあり、現代音楽のアーティストとも言える 冨田勲 氏です。今日はそんな一人の日本人とオーシャンのサウンドの連関を探るべく、一つの記事を書いていきます。
前半は「みんな知らない Frank Ocean」というのをテーマに、 Wikipadia には掲載されていない Ocean のトリビアルな情報をまとめ、後半に冨田勲が与えた影響について考察するという構成となっています(この記事ではセクシュアリティへの考慮から、Frank Ocean については三人称を使わずに記事を進めさせていただきます)。
Frank Oceanとは
もはや説明不要と言っても過言ではないほど、現代の音楽シーンを語る上での最重要人物となっている Frank Ocean(以下、Ocean)。Ocean については Wikipedia などで詳しく載っているので、今日は皆さんがあまり知らない Ocean の素性をまとめてみます。
Ocean はルイジアナ州ニューオーリンズ出身の 32才のアーティストで、Tyler, The Creator 率いる Odd Future のメンバーとしても広く知られています。(Odd Future は現在実質解散した状態にあります。)
『Nostalgia, Ultra』
Ocean は2011 年に発表したデビューミックステープ『Nostalgia, Ultra』にて、様々な方面から圧倒的な評価を受け、衆人環視の的となりました。
では、このアルバム『Nostalgia, Ultra』の中でも伝説となっている一曲について紹介いたします。それは、このテープの 12曲目『American Wedding』です。
お分かりの方もいらっしゃると思いますが、これは70年代にアメリカを賑わした伝説的バンド Eagles の『Hotel California』を大胆にサンプリングした楽曲です。
今や音楽の教科書にも掲載されている伝説の曲を現代版のリリックへと落とし込んだ『American Wedding』は、メロディーを差し替えたフックの歌唱や、アウトロでのカリフォルニア出身のグラミー賞受賞プロデューサー/ シンガーである James Fauntleroy による教訓的な独白など、このミックステープの中でも重要なポジションを担う楽曲でした。
このミックステープは無料で配ったフィジカルなものにも関わらず、ある人物が「この曲は著作権侵害だ」と主張しました。それは原曲の張本人、 Eagles のボーカリスト Don Henley でした。彼は起訴することさえちらつかせ、Ocean を「傲慢で、才能がない人間だ」と言い、「次にライブで『American Wedding』を披露すれば訴える」という事態にまで発展しました。
このことに対して、Ocean はこう答えました。
この男はクソな金持ちか? 新入りを訴えてどうするつもりだ?
あの曲で金は少しも稼いでなんかない。無料でリリースしたんだよ。
というかむしろ、彼に敬意を払ってたんだけどな。
確かにこのアルバムは無料で配られたフィジカル作品なので、Don Henley の主張は現代のサンプリング文化全体への否定のような気もします(ちなみに彼は Kanye West も批判しています)。
『Channel Orange』
その後、第二作『Channel Orange』では名声を欲しいままにします。グラミー賞でも、主要3部門を含む6部門にノミネートされ、記念すべき第一回目の「アーバン・コンテンポラリー・アルバム賞」と「ラップ/サング・コラボレーション賞」を受賞します。
少し余談を挟みますが、このアーバン「Urban」とは主にアフリカ発祥の音楽を指す言葉であり、差別用語としてグラミー賞が名前を「Progressive R&B」に変更することが今年発表されました。
このアルバムの中からは、少々想世界的なテーマが描かれた楽曲『Pyramids』をご紹介いたします。特徴ある音が折り重なり、それぞれの色を残しながらも完璧なバランスで配置され、全体として完璧な一色の世界ができているような感覚を与えてくれる一曲です。また転調後に全く別の曲調に変化するところも魅力的です。
『Blonde』
そして2作目のスタジオアルバム『Blonde』をリリースするとたちまち全米チャート1位を記録するほどバイラルヒットします。
このアルバムの発売に伴い、8月20日にロサンゼルス、ニューヨーク、シカゴ、ロンドンで雑誌『Boys Don’t Cry』のポップアップストアがオープンしました。この雑誌にはフィジカル盤の『Blonde』が付録としてついており、デジタル盤とは全く違った構成や楽曲が収録されています。
ここで、もう一つ皆さんが知らないかもしれない衝撃の事実をご紹介いたします。実はこのフィジカル盤の『Nikes』に限って、 KOHH と LOOTA が客演参加しているのです。
Frank Ocean と映画
そして、Ocean はかなりの映画好き(シネフィル)です。そもそも、Frank Ocean という名前の由来も映画『Ocean’s Eleven』(オーシャンと11人の仲間)のタイトル(Ocean)と、そこで主演を務めた、ポップ音楽における最重要のアーティスト/ジャズシンガーの一人である Frank Sinatra の名前を掛け合わせたものなのです。(ちなみに Ocean は Frank Sinatra を最も影響を受けたアーティストの一人だと言っています)
少し映画について触れるならば、XXL Magazine のインタビューで答えた彼の大好きな映画リストから、そのシネフィルぶりを感じとることもできます。
リストには、無声映画期の作品(シュールレアリズムで知られるルイス・ブニュエル作品や、モンタージュ理論の生みの親・エイゼンシュテインの作品、詩人や古劇映画の活動で知られるジャン・コクトーの作品など)から、現代映画の巨匠の作品群(リンチやキューブリック、深作欣二や北野武、ヴィム・ヴェンダースの作品など)まで、Ocean の嗜好が広範囲に渡っていることが読み取れます。
さらに、選ぶ作品が大作からコアなものにまでわたっており、そのシネフィルぶりは一目瞭然です(少し意外だったのはフランク・シナトラの因縁の相手、ロマン・ポランスキー監督をランクインさせていることですが)。
Frank Ocean とセクシュアリティ
2012年7月4日、Ocean は『Channel Orange』のライナーノーツを兼ねた文章を自身の Tumblr に投稿し、初恋の相手が男性だったことを明かしました。この行動は、マチズムを当然視している南米ルーツの音楽ジャンルに一石を投じました。
Tyler, The Creator や Jaden Smith を始め、様々なアーティストがカミングアウトを堂々とするようになったのも、Ocean の勇気ある行動を契機としているといっても間違いありません。ちなみに、Ocean 自身がカミングアウトを行う勇気が出たのは、音楽的にも最も影響を受けたアーティストの一人である Prince のおかげだと言っています。
Prince が、「性の役割」という古臭い考えを相手にせず、自由に行動してくれたからこそ、自分のセクシュアリティをナチュラルに受け止めることができたんだ。
ちなみに Prince は今となっては伝説的なアーティストであることは間違いありませんが、今から 30 年以上前に、テレビの番組にビキニとヒールを纏って出演したこともあったりと、表舞台でセクシュアリティを公表した黒人としてもその功績を称えずにはいられません。
ここまでが「みんなの知らない Frank Ocean」でした。では次に Ocean の音楽の源流について考察していきます。
Frank Ocean の音と冨田勲による影響
冒頭で説明した通り、Ocean は自分に影響を与えた50曲の中で、一人だけ日本人を選出しており、それが冨田 勲氏なのですが彼は一体どういう人物なのでしょうか。
冨田 勲は1932年4月22日に東京都杉並区で生まれ、父親の冨田 清が当時紡績会社であった鐘紡の嘱託医であったため幼い頃から転勤が多く、中国で幼少期を過ごすなど、安定しない子供時代を経験しました。
慶應義塾高等部に編入してからは友人と協力しながら独学で音楽を学び、慶應義塾大学に入学してからは美術史を学ぶ傍、音楽理論の授業にも積極的に出席していました。大学2年になり、朝日新聞社主催のコンクールの課題曲に応募した合唱曲『風車』がコンクールを獲り、これにより作曲家になる意志を固め、在学中からNHKの音楽番組の仕事をするなど、作曲活動に従事し始めました。
そして冨田氏について特筆すべきことは、彼は日本にシンセサイザーを持ち込んだ張本人であることです。彼はそのあまりの持ち込みの早さから、怪しい機材と疑われ、関税にシンセサイザーを何ヶ月も止められていたという伝説まであるほどです。
また、彼の極めて精巧に作り上げた独自のサウンドは、日本ではクラシックと扱うか、ポピュラー音楽と扱うか分からないため、日本の音楽業界に売り込みを拒否されました。その後、アメリカでクラシック音楽としてチャートにランクインして大ヒットしたのちに日本に逆輸入されました。
幻想的な響きの中に優しい振動を染み込ませ、立体的に構成された波のようなサウンドはクラシック音楽にとどまらず、大衆音楽にまで多大な影響を与えるなど、冨田氏は日本の現代音楽の先駆者とも言えるアーティストなのです。
そして彼の助手としてその音楽的影響を強く受けたアーティストに松武秀樹がいます。彼はのちに YMO(Yellow Magic Orchestra)の第四のメンバーとしてシンセサイザー・マニピュレーターとして活躍することになります。
またこの記事の主題でもある Ocean が彼から多大な影響を受けているという主張の根拠としては、三点をあげておきます。それは「環境(アンビエント)音楽」「サンプリング」「声のインスト化」です。これらの単語を見ただけではまだはっきりしないと思うので、説明していきたいと思います。
Ocean と環境音楽
また冨田氏は他の様々な曲の中で環境音を用いることから、アンビエント・ミュージック(環境音楽)の枠内にいると捉えることもできます。
冨田氏のこちらの曲『亜麻色の髪の乙女』では、美しい今日曲調の裏で風の音など様々な環境(アンビエント)音が組み込まれています。
そして、アンビエントと聞いて思い起こされるのがアンビエントR&Bの創始者、Frank Ocean です。環境音楽という観点でも Ocean は冨田勲の影響が少なからずあると思われます。
Ocean とサンプリング
フランスの印象派を代表する作曲家ドビュッシーの変奏曲をまとめたアルバム『月の光』で世間から評価を得た冨田氏ですが、彼のスタイルは原曲のメロディーは留めて置きながらも、あらゆる音の引き出しを次々と開けていき、新たな世界を構築するスタイルであるといえます。
これは Ocean も行ってきた手法であり、先ほど述べた Eagles のサウンドを取り入れた楽曲『American Wedding』にもその傾向を垣間見ることができます。
Ocean と声のインスト化
また Ocean を象徴するインスト化されたように強く歪んだ声も、冨田氏の影響を強く受けていると言えます。「インスト化された声」と言われてもピンとこない方もいらっしゃると思いますので、名だたる評論家たちから大絶賛を受けた Ocean の最高傑作の一つ『Nikes』を聞いてみてください。
この元の声の質を極端に歪ませ、極端に機械化(インスト化)させた「声ではない声」こそ「インスト化された声」と捉えることができます。ここに Ocean の凄みが隠されています。とどのつまり、Ocean の声は人間の声のはるか向こう側まで到達し、もはやそれを楽器のように弄びながら緩慢なトラックに溶け込ませているのです。
しかし、この「インスト化された声」については冨田氏から絶対的な影響を受けたということをここで主張しておきます。それは『アラベスク第一番』にて変質した声が含まれている部分を聞けばおわかりいただけると思います。
ちょうどこの曲の1分21秒あたりで極端に機械化された人の声を聞くことができます。これはまさに Ocean の使うそれと遜色ないものと言っても過言ではないでしょう。
最後に
今やスーパースターとなった Frank Ocean と、Ocean が影響を受けた日本人、冨田 勲氏との関係について述べてきました。これまでとは違った切り口の Ocean の音楽分析となりましたが、少しは楽しんでいただけましたでしょうか。
そして、昨年から突然シングルを続々とリリースし始めた Ocean ですが、賞をもらうことに何の意味もないと主張していることを考慮すれば、おそらく『DHL』などジャケットの下に描かれている人形の影に応じた曲をシングルとしてこれから出し続けると僕は予想しています。
シークレットな行動が多い Ocean だからこそ今後も目が離せませんが、またいつか Ocean についてまとめた記事も書こうと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
written by Kensho Sakamoto