皆さん Brit School はご存知でしょうか。
ご存知の方もそうでない方も、今回は Loyle Carner の魅力を味わうことで、Brit School が彼に与えた大いなる影響に驚くこと間違いないでしょう。
Brit School について
まず、Brit School とは、 Amy Winehouse や Adele などを輩出したロンドンに校舎を構える学校のことです。
Brit School は音楽だけでなく、演劇、ダンス、映像、アートワーク、プロデュース、マーケティング、ファッションやゲーム、アプリまで、あらゆる分野を学ぶことができる、いわばアーティスト育成学校で、日本の東京藝術大学のような学校です(日本の高校に位置づけられる学校ではありますが)。
ちなみに学費が高いことで有名なイギリスではほぼ唯一、国の財源で賄われているため授業料が無料の学校です。これは貧富の差が激しいイギリスにてアーティストを目指す学生への救済措置とも言えます。
昨今イギリス出身で注目度が高いアーティストにも見事に Brit School 出身者が多いんです。例えば FKA Twigs や Rex Orange County 、 Raye から King Krule、Octavian まで、ジャズや R&B、ポップやオルタナティブ、ヒップホップなどそのジャンルは多岐に渡ります。
そしてもちろんヒップホップのアーティストも例外ではなく、実際に多くの有名なラッパーが卒業しています
今回はその中から Loyle Carner について書いていきたいと思います。
Loyle Carner について
最初に、サウスロンドン出身の Loyle Carner についてですが、彼はヒップホップがお好きではない方にもオススメのアーティストです。
演劇を深く学んでいた彼は、情緒豊かなサウンドを作るのが得意で、そのとろけるようなおしとやかなビートの上で、温かみを含んだ低い声をのせるスタイルを特徴としており、そのまろやかさはジャズや R&B がお好きな方にもぴったりハマること間違い無しでしょう。
まず Loyle Carner (以下、Carner) こと Benjamin Gerard Coyle-Larner は、1994年に「音楽の街」サウスロンドンのランベスで生まれ、同じくサウスロンドンのサウス・クロイドンで育ちました。若くして父親が他界してしまった彼は女手一つで育てられました。
また、 Loyle Carner というステージネームは本名の Coyle Larner の C と L を入れ替える、いわゆるスプーナリズム(語音転換)にちなんでいます。
幼い頃から、ADHD と難読症に悩まされた彼でしたが、13歳になった2008年に、イギリスの映画『10,000 BC』にて役者をするほどまでに、病気を克服していきました。
その後、サウスロンドンにあり、400年の歴史を持つ男子校 Whitgift School で中等教育を受けた後、名門音楽学校 Brit School に進学し、音楽と演劇について学ぶこととなります(演劇が中心だったそうです)。
そして、音楽と演劇の活動を両立し、2012年にはアイルランドのダブリンで行われたギグ(ライブ)で初めて人前で音楽を披露する機会を得ます(奇遇にも、彼とのちに様々なコラボレーションをすることとなる Tom Misch も同年に音楽活動を開始しています)。
Brit School を卒業した後、ロンドン・ドラマセンター (キングスクロスにある演劇の学校)にて、『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』で知られるシェイクスピアの劇を中心に学んでいた彼ですが、父がてんかんを起こして亡くなってしまったことを機に、音楽の道に絞ることとなりました。
そして、2014年に最初の EP『A Little Late』を出した後、2015年には Joey Bada$$ の UK ツアーのサポートアクトに選ばれ、2016年には Nas のロンドンO2アリーナ公演のサポートも務めます。
その後、BBC SOUND OF 2016 に選出されるという風に一気にスターダムの階段を駆け上がって行きます、そして2017年のデビューアルバムの『Yesterday’s Gone』ではUKチャート初登場で14位となり、あらゆるメディアから賞賛を浴びました。
極めつけは2018年のブリットアワードにて「最優秀新人賞・最優秀男性ソロアーティスト賞」をダブル受賞したことでしょう。
また、この2018年には東京で初単独来日公演をソールドアウトさせていて、UK屈指のラッパーとしてその地位を確かなものとしました。
そして昨年には 2nd アルバム『Not Waving, But Drowning』をリリースしています。
アルバムのタイトル『Not Waving But Drowing』は Stievie Smith の詩を引用した言葉です。
この詩は不幸にも溺死した男の話です。一緒に海水浴にいっていた友達は海にいる彼が手を振っていると思っていたが、実際は溺れてたじろいでいただけだったという皮肉とも風刺ともとれる詩です。
このアルバムには各所で「一見大丈夫に見えても心の中はズタズタな現代人=彼自身」が描かれています。インターネットが主流となった時代だからこそ、形を伴わない陰湿でジメジメとした言葉は時に重く、ネットリと心の深淵にまで到達しうることは皆さん容易に理解できるのではないでしょうか。
Loyle Carner の魅力
①日常的なリリック
Carner の魅力はまずなんといっても「日常的なリリック」でしょう。
リリックの魅力については、まず最新アルバム『Not Waving, But Drowning』に収録されている『Ottolenghi』をお聴きください。
この曲は、ニュージーランド出身で主にロンドンで活動しているJordan Rakeiを客演 / プロデュースに迎えた一曲で、デビューアルバムの『Yesterday’s Gone』以来、最初の先行リリース曲です。
料理の得意な彼は、自身と同じく ADHD を抱えている子供達に料理教室を開区など、様々な支援活動を行なっています。そんな彼は Yoram Ottolenghi という料理家を敬愛しており、今曲のタイトルはその料理家の名前を引用したものです(電車で Ottolenghi の著書『イエルサレム』を読んでいたら、聖書を読んでいると勘違いされたことから、彼の名前をタイトルにしています)。
I was sat up on the train
電車の椅子に腰掛けてStaring out the window at the rain (aye)
窓から降りゆく雨を見ていたI heard this little lady must’ve felt the pain ask her mum if the blazing sun’ll ever shine again
そこにいた少女は物悲しそうに母親に尋ねたんだ「光り輝く太陽が二度と現れなかったら」ってI felt ashamed feel the same not her mother though
母親でもないのに自分に聞かれたみたいに感じて恥ずかしかったよNah, started to laugh got her son involved (aye)
母親が笑い始めると息子さんもつられ笑いをしちゃってMention the past like a running joke
その母親が「お決まりのジョーク」みたいに過去を語ってAnd told her ‘without all the rain there’s no stunning growth’
『Ottolenghi』
娘にこう言った「雨が無ければ、華やかな成長もない」って
場面は雨降りの車内、流れゆく人混みの中で感じた甘美なひと時を、なんの変哲もない隠密な日常を、 Carner は見事な感性で、ありありとその味わい豊かなリリックをリスナーの耳元までゆったりと広げていきます。
まさに雨を表象する情緒的なサウンドもさることながら、早口ながらもうつろな出来事を描写する一曲には感嘆以外の言葉がありません。
ADHD is the best and the worst of me
ADHD は素晴らしくて最低なものだよ
『INDEPENDENT』- Saturday 13 April 2019
インタビューでこうも答える彼にとって、ADHD を抱えたことで過酷な経験も伴ったものの、素晴らしい才能を開花させる触媒であったのでしょう。また、こういった言葉も残しています。
I’d rather have a real life than lots of girls and drugs.
「ありふれた非日常」よりもリアルな日常の方がいいんだ。
『INDEPENDENT』- Saturday 13 April 2019
「溢れるほどの女や薬が偏在する生活」は彼にとってリアルなものではなく、ただのフェイクであるという、徹底的なリアリズム精神を持った彼の感性を物語る言葉ですね。
このような「日常的なリリック」も Brit School で様々な才能と出会っていく中で完成した彼なりの個性であることは間違い無いでしょう。
②ジャジーなブーンバップサウンド
極めてジャズ的で物静かなサウンドの印象がある彼ですが、ヒップホップの影響を強く受けたジャズと、耳にすっきりと入ってくる90年代の東海岸的なブーンバップが最上の配合で混ぜ込まれたサウンドを持つ曲も多くあります。
代表的なものは『You Don’t Know』です。
コーラスとブーンバップ的なキックスはまさに彼のサウンドのルーツともいえるものです。このジャズ的感覚を養ったのが Brit School であることは言うまでもないでしょう。
『NO CD』もブーンバップサウンドが、ギターのサウンドを基調として刻み込まれている面白い一曲です。
この曲では、彼を象徴する落ち着いた曲調ではなく、敬愛する Kendric Lamar の雰囲気さえも感じさせるスキルや歯切れの良い声を見せてくれています。
ヒップホップにジャズを組み合わせるというやり方も、Brit School であらゆるジャンルの音楽と触れ合って育った感性によるものでしょう。
③サウンドに溶け込む声
彼のこれまた重要な要素は「サウンドに溶け込む声」です。
まずは『Ain’t Nothing Changed』をお聞きください。
イタリアの音楽家で、映画音楽への功績で知られる Piero Umiliani の 『Ricordandoti』を大胆にサンプリングしたこの曲は、ジャジーな趣を含んだ残り香を味わいながら、その微かな匂いを殺さずに溶け込ませる彼の声の良さ、発声法を感じ取ることができます。
彼には一つ一つの音節を見事に分割し、強調する音と抜く音とを見事に、そして瞬時に使い分ける能力があります。
このような発声法にも、やはり Brit School での演劇の学びが生きていることは間違い無いでしょう。
実践を重要とする学校だからこそ、実際のセリフの言い回しや発声法など、彼を特徴付ける「声」が育て上げられたに違いありません。
また、Tom Misch を客演に呼んだ一曲『Damselfly』では、Tom Misch サウンドともいえるジャジーで聴き心地抜群のトラックにぴったりの声を披露しています。
オススメ曲
次に、彼を有名にした曲でもある『The Isle Of Arran』を聞いてください。
スコットランド沖にある3つの島からなるアラン諸島について歌ったこの曲。
1969年に発表されたゴスペル・クラシック『The Lord Will Make A Way』のサンプリングから始まっているこの曲はピアノ・ベースのシンプルなビートです。
この曲は若いながらも頑張る父親達を称賛した曲で、彼自身インタビューで以下のように答えています。
僕の友人の多くが自分の父親と上手くいっていなくて、中にはそれでも父親になってる奴もいて、踏ん張りながら頑張る若い父親達を称賛したかったんだ
母への愛情が行き過ぎたエディプスコンプレックス的問題を抱える現代の少年(それは彼自身とも通ずる)とその父親との関係という、なんともリリックにするには難しい内容になっています。
若い頃に父を失った彼にとっては父との関係というのは身近でないからこそ大切だと感じているのかもしれません。
There’s nothing to believe in, believe me
信じるものなんてない、あるとすれば自分自身だ
父がいないからこそ自分を信じてきた彼の経験と、信仰心への抵抗から来る父(God)への宣言でもある印象的なラインです。やはり J cole や Kendric Lamar を崇める彼のラインは一つ一つが意味深くて面白いですね。
次に Tom Misch の 2ndEP 『Beat Tape2』に客演で参加している曲、『Nightgowns』を聞いてみてください。
サウスロンドン出身のこの二人のコラボは本当に最高です。現行のロンドンのジャズシーンを牽引する Tom Misch のサラッとした聴き心地に Carner のローな声が見事にマッチした一曲です。
また、 Jorja Smith とのコラボ曲『 Loose Ends 』は二人の息がぴったりです。(Jorja Smith はイングランドの中央部のウォルソール出身なので、ロンドンからは結構距離がありますが)
他にも Sampha とのコラボ曲である『Desoleil』は、曲が進むにつれ少しずつ上がっていくボルテージが思いがけない光源となり、途方もない内側のエネルギーを照らし出す一曲になっています。
最後に
いかがだったでしょうか。Brit School が彼に与えた影響は彼の特徴から感じ取れたのではないかと思います。
シングルをあまり出さず、売り出そうという意識が少ない彼はあまり楽曲制作の状況を漏らしたりはしませんが、今年の終わり頃に何かプロジェクトをやってくれるのではないかと期待しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Kensho Sakamoto